楽しい楽しい交通機動隊エピソード36 あゝ本田分駐所
あゝ本田分駐所・・・
隊本部庁舎が本店とすりゃ、支店と言えるのが分駐所だな・・・おいおい、これって前回と同じじゃん
前回に引き続き分駐所の話でごわす。
警視庁旧第三交通機動隊本田分駐所・・・私が巡査長時代、3年と10ヶ月ほどお世話になったのがこの本田分駐所だった。
時代的には私が分隊長(巡査部長)として交機隊に出戻る更に6年以上昔になる。
この歳になると、遠い昔、銀河系の彼方で・・・みたいに大昔に思える。
私が千葉県の、ど田舎へ移住したのをきっかけに少しでも自宅に近い所へってことでの内部異動だった・・・
っちゅうのは表向きで、本当はどうしようもないゴンゾウ班長から離れたくての希望による配置換えだったんだな。
小松川分駐が当時、第3中隊1個中隊2個小隊運営だったのに対し、こちらは第4中隊第1小隊だけの城だった。
同中隊第2小隊はと言うと、ここから少し離れた場所で警視庁綾瀬(あやせ)警察署敷地内に設立されていて綾瀬分遣所として活動していた。
広い旧三交機の縄張りを1個中隊をバラして展開させてたんだな。それほど旧三交機の縄張りは他の交機隊に比べて広かったんだな。
ちなみに中隊一番のボスである4中隊長席は居心地の良い本田分駐の方にで~んって置かれて、歴代の4中隊長さん達、いつもの如く転勤まで好き勝手にやってたよ。←だいたい1年で本部へ転勤していったよ。
残念ながら当時のここの建物全景画像は無い。
当時の私の担当白バイ VFR750PとマイバイクのCBX1000とのツーショット 車庫以外の敷地はかなり狭い。
ごちゃごちゃした街中の裏通り沿いに建てられていて、前を通っても外観からはお巡りさんでさえ何の建物か分からない、確か4階建?(記憶不鮮明)ぐらいの汚ねえビルって感じだった。
当初、木製厚板の「本田分駐所」の看板が掲げて有ったけど、ある日誰かに盗まれちゃった。
以後、この看板は夜間は盗難防止のため取外してたんだけど、しまいには1日中取り外してたよ。
アバウトさは小松川分駐以上だったよ。
実際、当時の小松川、本田の両分駐もやろうと思えば白バイや交パの備品なんか簡単に盗めたほどかなりのセキュリティの甘さだったし、また世間様にそんな悪い野郎はいないだろうっちゅうぐらいのお巡りさん側の危機管理意識だったと思う。
実際、後年になって他の隊で白バイのクルクル回転赤色灯や車載無線機の盗難事案も発生していて
特に重要な白バイの車載無線機なんかは、これを機会に警ら終了後はいちいち白バイから取り外すことが管下一斉に義務付けられることになった。
※車載無線機・・・白バイの場合、大、小、2個の鍵で取外し可能。←外側のケースの鍵とケース内側に無線機本体を固定している鍵とで2個。大体、キーホルダーにエンジンキーと付随しているよ。←鍵を差し込むだけじゃ簡単に開かねーぞ。だからチンパンジーには無理だな。
正面玄関は小松川分駐と違って小さく、中の玄関フロアーもジュースの自販機1台、形式だけで滅多に座ることのない庁警用のデスクと椅子が有るぐらいでかなり狭かった。
近所のガキが・・・いや、お子さんが気安く勝手に入って来ては自販機のジュースを買って行く光景も普通に見受けられた。←外より10円安かったから。
隣りの家からいつでも火炎瓶投げ込み可能な場所に分駐のガソリンスタンド。まあ、小松川分駐もそうだったけどこれが東京都内なんだな。
地上が車庫とガソリンスタンド、2階が旧三交機4中1小隊部屋、3階が機捜(機動捜査隊)連中の縄張り、4階が布団部屋と風呂場だったと思う。
機捜
、そうそう、ここは機捜さんが同居人だったんだっけ。
※機捜(きそう)・・・機動捜査隊、交通部とは全く関係ない本部刑事部直轄、私服のデカさん連中。
この機捜さん達、隊って言うわりにはかなりの少数のデカさんしか分駐には詰めていない。(1つの班で3~4人ぐらいだったかなあ。)
何か事件が有ればデカさん用の覆面パトカーで直ちに現場へ急行して所轄の手柄を横取りするのが得意・・・んが、物にならないって分かると引き揚げも早い。←風評ですからあ
また何も事件がなくても真夜中定時になったら、おごそかに覆面で警らに出かけてたっけ。
分駐内では、ごっつい顔したデカさんがエプロン姿で包丁持って料理しているところばかりをよく見かけた。
消防と同じで緊急時には直ちに出動せにゃあかんのでのんびり出前なんか頼んでられんのだ。
ちなみにどんな緊急事件が有っても出動しないのが交機隊だよ~
←基本、刑法犯関係は相手にしないから。
この機捜さん達との共用設備は無くて、同じ建物で有りながら少数精鋭の機捜さん達は別の階のためか、いつもひっそりとしていて存在感かなり薄だった。
そんな機捜さん達とは、一つ屋根の下同士ってことで一度だけ分駐所内で懇親会を催したことが有った。
こちら側に劣らずの、のんべえ揃いだったよ。
バイク好きのデカさんもいたぞ。←結構、多い。実際、追っかけにもバイク使ってるし。デカさんの中には白バイ養成終了者も多いよ。
この頃はこんな私も班長ってことで新車のVFR750Pを担当する。白バイ人生初めての新車の白バイだった。
お向かいの建物が間近なほど裏通り沿いの分駐だった。それでも路線バスが走ってたけどね。とにかくごちゃごちゃした街中に建ってたんだよ。
あっ、そう言えばはす向かいはちっちゃな墓地だったっけ。
後方の観音開きのドアが主に白バイや交パ帰隊時の専用口、道路側のパイプ状のガードレールは持ち上げて取外し可能。
この専用口の他、機捜車両専用口、正面玄関ドア、出向専用口が有って、こちらは電動シャッターだった。ちなみに狭いため四輪の場合は分駐内は一方通行だった。
カッコいいフェアレディZの交パも1台有ったけど、主に隊本連絡専用車両という何とも可哀想な存在だった。
過去ブログでも述べたように、ゼットってカッコいいけど車内が狭くて実務的には不便で使えなかったんだよ。
※隊本連絡・・・本店である隊本部(この当時は警視庁蔵前警察署内)へ決裁書類や売上げである完成切符の搬送、併せて隊本からの諸々の書類の搬送用務。警ら要員以外の野郎の仕事。時には中隊長自らも。
えへん 班長様だぞ。
昇任試験に向けて勉強中~
4中1小隊部屋、たぶん班長時代。小松川分駐よりは狭さを感じる造りなんだけど、実際は意外と広かった。何しろ1個小隊、15人前後だけの所帯だったからね。
厨房と畳の休憩室なんかは小松川分駐よりは古くさかったけどかなり広くて、特に厨房なんかは十分自炊可能だったし
実際、泊り勤務時、庁警員は味噌汁作りが科せられていて、料理大嫌いな私もここで人生初めての味噌汁作りを体験することとなる。←遠まわしに味がいまいちって言われたよ。
料理得意の分隊長がいて、たまにカレーライスを作ってはみんなにふるまってたしね。
私なんか奥様の実家(農家)の米蔵から内緒で年貢米を持ち出しては小隊に提供したこともあったよ。
この本田分駐の大きな特色としては小隊独自で地域住民との関係をとても大事にしていたところだった。
普段、深夜に車両の出入り等の騒音で迷惑をかけているということで、分駐所に隣接する周囲の民家の方々への盆暮れの挨拶等は中隊長、小隊長等の幹部連中が粗品を持って毎年欠かすことなく実施していたし、
縄張り、じゃなくて管内の中小企業の自動車修理工場や解体業者との親交も深く、伝統を継承しているゴンゾウ大班長様の音頭により、懇親会ということでそれら業者さんの社長さん連中との酒宴も幾度か催されたこともあった。
昔は、ある程度の物損事故だったら本部報告なんかしないで勝手に知り合いの業者に修理を依頼することが当たり前だった時代でもあったから、日頃から修理業者との良好関係を保つ意味での深い親交だったんだな。
何しろ、親方日の丸の警察車両ってことで修理が早いのなんのって、とにかく頼りなる方達だった。
もちろん、ちゃんとお金払ってたからね。そのため事故費と言って毎月、小隊員全員から積立金を徴収してたよ。
ちなみに本部報告しての事故処理は無料だけど・・・いろいろめんどくせー。
警らの合間、実際はそれ目的だけで私もよく班長に連れられて覆面パトカーで管内の業者さんの檀家回りをしたもんだった。
※檀家回り・・・だんかまわり・・・檀家とは、特定の寺に所属して寺を支援する家のこと。その家を専属のお坊さんが訪れることを檀家回りと言う。警察社会ではお巡りさんが民間の協力者の家にお邪魔してはお茶を飲みながら世間話をして情報収集をすることを言う。
このお巡りさんの檀家回りって、地域住民との密接な関係を保ち、貴重な情報を得る重要な時間なんだよ。けっしてさぼって遊んでる時間ではないからね。
たまに社長さんからビール券なんかもらってたりしてたゴンゾウ班長様もいたけどっちゅうか、最初からそれ目的の班長もいたっけ
←みかじめ料の集金みたいでしょ。
何だか、話がブラックになって来ちゃったけど、そう、昔は結構、ブラックなことしている巡りさんも多かったよ。
もちろん、ごくごく一部のお巡りさん達だけどね。
まあ、いつもの如く世間様の目が厳しくなっていく一方で、ゴンゾウメンバーの転勤や内部異動と共にこの業者達とのお付き合いも消滅していくこととなる・・・個人的には続いてたみたいだけど。
やがて本田分駐所からは交機隊は撤収し、機捜さんだけの城となる。
私が最初の交機卒業後の所轄時代中での撤収だったので、いつの間にかって感じだった。
ちなみに私が所轄中の間に隊本部も、警視庁蔵前警察署内から別の場所(江東区新木場)に変わっちゃってた。
そんでもって現在はと言うと・・・2017年某日・・・ごらんのとおり何にも無しの空き地。
グーグルアースでも同じ感じだったから未だに空き地だと思う。
本田分駐所跡地・・・東京都葛飾区立石6丁目19番12号
本田分駐よ永遠なれ・・・どころじゃない、無くなってたあ

私の思い出の場所が、今度は完全に消え去ってしまったよ。
本田分駐所とは関係ないけど・・・当時の画像でもどうぞ。開通前のレインボーブリッジでのVFと私です。
過去ブログ(2013年4月6日作成ホンダVFR750P)で取り上げたよね。一般車両立入禁止、開通前のレインボーブリッジ上だよ。
御覧のとおり車線がまだペイントされてないもんねえ。
レインボーブリッジが開通したのは1993年8月26日だから、その直前だな。
この日は新隊員とペア警ら途中でのレインボーブリッジ視察だった。
民間の警備員の方が快く封鎖中の柵を開けてくれて通してくれたよ。一般車両はまだ通れる訳がなくお巡りさんだからこその役得なんだな。
この頃は「レインボーブリッジ見学できるぞ~」って隊員間のおもろい情報として広まってたんだよ。
実際、この日も他の中隊員が何名か訪れていて橋の上でヤニ(煙草)スパスパやりながら談笑してたよ。
余談だけど・・・後年、私が交機出戻りで小松川分駐勤務だった頃、「踊る大捜査線・レインボーブリッジを封鎖せよ!」って映画が有って主人公の青島刑事が「レインボーブリッジ封鎖できません!」ってセリフが有名だったんだけど・・・
当時、7交機の隊員でオフの時に彼女とマイカーでドライブ中、レインボーブリッジ上で単独物件事故やらかしてレインボーブリッジを封鎖しちゃったことが有って、「レインボーブリッジ封鎖しちゃいましたあ!」ってみんなでよく冗談言って笑いころげたの思い出したぞ。
幸い事故自体たいしたことないし、事故でレインボーブリッジ封鎖なんて珍しい事でもないぐらい首都高って事故ばっかだから全く大事にならなかったよ。
開通後の11月某日、モンゴル首相来日時、私は警護課派遣でモンゴル首相車列一向の先導白バイを担当してこのレインボーブリッジを渡ることとなる。
当時、羽田空港が新しくリニューアルしたり、このレインボーブリッジが開通したりで、従来の羽田空港からの警護車列コースもそれに伴い変わったばかりだった。
ほ~んと、遠い昔、銀河系の彼方での出来事に感じるよ。
しじみ、じゃなくて、しみじみ・・・
ってことで、今回はこの辺で失礼します。それでは皆さんまたねティドレス~

おまけです。
1973年(昭和48年)2月1日発行月刊モーターサイクリスト2月号より
一言だけコメントすっと、ダックス買わない人はこっち。
以下、いつものワンパターンです。
飲酒運転撲滅キャンペーン
FBやってます。素敵な顔画像、実名の有る方に限り、ぶっちゃけ質疑回答します。
「洋吾」←検索で何とかたどりついて下さいね。
いつもいつもバカみてえに言ってるけど、フェイスブックなんだから頼むから顔写真もお願いします。
顔が分からないと訳分からんので

それと出会い系関係のお姉ちゃんの承認申請も厳に止めてケロ
そんな金持ってねえし、第一そんな元気ねえし
発売中です!
ユニクロさん承認トートバッグです。Tシャツ同様宜しくお願い申し上げます。
他にもありますよ~(=^・^=)♪
http://utme.uniqlo.com/jp/t/EUUQeDg
ラインクリエイターズスタンプ「ニャンコ白バイ隊」、そのクォリティの低さで悪評発売中です。読者皆様の御利用を宜しくお願い申し上げます。またすでに御購入された方々に心から御礼申し上げます。
真にありがとうございました。
http://line.me/S/sticker/1029758
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上記URLで販売ページを見てやって下さい。
調子こいてニャン交機Tシャツの宣伝です
これは私がユニクロのアプリで制作したTシャツです。他に4点出品中です。
著作権等の関係やらで結構審査が厳しかったけど、全て審査済みで発売中です。
※まじ厳しい
「これは私自身が制作したマスコットキャラのニャンコ達に間違いないですから
」的な説明しないと、あっさりはねられる。←説明抜きの最初は軽くはねられました。
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隊本部庁舎が本店とすりゃ、支店と言えるのが分駐所だな・・・おいおい、これって前回と同じじゃん

前回に引き続き分駐所の話でごわす。
警視庁旧第三交通機動隊本田分駐所・・・私が巡査長時代、3年と10ヶ月ほどお世話になったのがこの本田分駐所だった。
時代的には私が分隊長(巡査部長)として交機隊に出戻る更に6年以上昔になる。
この歳になると、遠い昔、銀河系の彼方で・・・みたいに大昔に思える。
私が千葉県の、ど田舎へ移住したのをきっかけに少しでも自宅に近い所へってことでの内部異動だった・・・
っちゅうのは表向きで、本当はどうしようもないゴンゾウ班長から離れたくての希望による配置換えだったんだな。

小松川分駐が当時、第3中隊1個中隊2個小隊運営だったのに対し、こちらは第4中隊第1小隊だけの城だった。
同中隊第2小隊はと言うと、ここから少し離れた場所で警視庁綾瀬(あやせ)警察署敷地内に設立されていて綾瀬分遣所として活動していた。
広い旧三交機の縄張りを1個中隊をバラして展開させてたんだな。それほど旧三交機の縄張りは他の交機隊に比べて広かったんだな。
ちなみに中隊一番のボスである4中隊長席は居心地の良い本田分駐の方にで~んって置かれて、歴代の4中隊長さん達、いつもの如く転勤まで好き勝手にやってたよ。←だいたい1年で本部へ転勤していったよ。
残念ながら当時のここの建物全景画像は無い。

当時の私の担当白バイ VFR750PとマイバイクのCBX1000とのツーショット 車庫以外の敷地はかなり狭い。
ごちゃごちゃした街中の裏通り沿いに建てられていて、前を通っても外観からはお巡りさんでさえ何の建物か分からない、確か4階建?(記憶不鮮明)ぐらいの汚ねえビルって感じだった。
当初、木製厚板の「本田分駐所」の看板が掲げて有ったけど、ある日誰かに盗まれちゃった。

以後、この看板は夜間は盗難防止のため取外してたんだけど、しまいには1日中取り外してたよ。

アバウトさは小松川分駐以上だったよ。

実際、当時の小松川、本田の両分駐もやろうと思えば白バイや交パの備品なんか簡単に盗めたほどかなりのセキュリティの甘さだったし、また世間様にそんな悪い野郎はいないだろうっちゅうぐらいのお巡りさん側の危機管理意識だったと思う。
実際、後年になって他の隊で白バイのクルクル回転赤色灯や車載無線機の盗難事案も発生していて
特に重要な白バイの車載無線機なんかは、これを機会に警ら終了後はいちいち白バイから取り外すことが管下一斉に義務付けられることになった。
※車載無線機・・・白バイの場合、大、小、2個の鍵で取外し可能。←外側のケースの鍵とケース内側に無線機本体を固定している鍵とで2個。大体、キーホルダーにエンジンキーと付随しているよ。←鍵を差し込むだけじゃ簡単に開かねーぞ。だからチンパンジーには無理だな。

正面玄関は小松川分駐と違って小さく、中の玄関フロアーもジュースの自販機1台、形式だけで滅多に座ることのない庁警用のデスクと椅子が有るぐらいでかなり狭かった。
近所のガキが・・・いや、お子さんが気安く勝手に入って来ては自販機のジュースを買って行く光景も普通に見受けられた。←外より10円安かったから。

隣りの家からいつでも火炎瓶投げ込み可能な場所に分駐のガソリンスタンド。まあ、小松川分駐もそうだったけどこれが東京都内なんだな。
地上が車庫とガソリンスタンド、2階が旧三交機4中1小隊部屋、3階が機捜(機動捜査隊)連中の縄張り、4階が布団部屋と風呂場だったと思う。
機捜
、そうそう、ここは機捜さんが同居人だったんだっけ。※機捜(きそう)・・・機動捜査隊、交通部とは全く関係ない本部刑事部直轄、私服のデカさん連中。
この機捜さん達、隊って言うわりにはかなりの少数のデカさんしか分駐には詰めていない。(1つの班で3~4人ぐらいだったかなあ。)
何か事件が有ればデカさん用の覆面パトカーで直ちに現場へ急行して所轄の手柄を横取りするのが得意・・・んが、物にならないって分かると引き揚げも早い。←風評ですからあ

また何も事件がなくても真夜中定時になったら、おごそかに覆面で警らに出かけてたっけ。
分駐内では、ごっつい顔したデカさんがエプロン姿で包丁持って料理しているところばかりをよく見かけた。
消防と同じで緊急時には直ちに出動せにゃあかんのでのんびり出前なんか頼んでられんのだ。
ちなみにどんな緊急事件が有っても出動しないのが交機隊だよ~
←基本、刑法犯関係は相手にしないから。
この機捜さん達との共用設備は無くて、同じ建物で有りながら少数精鋭の機捜さん達は別の階のためか、いつもひっそりとしていて存在感かなり薄だった。
そんな機捜さん達とは、一つ屋根の下同士ってことで一度だけ分駐所内で懇親会を催したことが有った。
こちら側に劣らずの、のんべえ揃いだったよ。
バイク好きのデカさんもいたぞ。←結構、多い。実際、追っかけにもバイク使ってるし。デカさんの中には白バイ養成終了者も多いよ。
この頃はこんな私も班長ってことで新車のVFR750Pを担当する。白バイ人生初めての新車の白バイだった。
お向かいの建物が間近なほど裏通り沿いの分駐だった。それでも路線バスが走ってたけどね。とにかくごちゃごちゃした街中に建ってたんだよ。
あっ、そう言えばはす向かいはちっちゃな墓地だったっけ。

後方の観音開きのドアが主に白バイや交パ帰隊時の専用口、道路側のパイプ状のガードレールは持ち上げて取外し可能。
この専用口の他、機捜車両専用口、正面玄関ドア、出向専用口が有って、こちらは電動シャッターだった。ちなみに狭いため四輪の場合は分駐内は一方通行だった。
カッコいいフェアレディZの交パも1台有ったけど、主に隊本連絡専用車両という何とも可哀想な存在だった。
過去ブログでも述べたように、ゼットってカッコいいけど車内が狭くて実務的には不便で使えなかったんだよ。
※隊本連絡・・・本店である隊本部(この当時は警視庁蔵前警察署内)へ決裁書類や売上げである完成切符の搬送、併せて隊本からの諸々の書類の搬送用務。警ら要員以外の野郎の仕事。時には中隊長自らも。
えへん 班長様だぞ。
昇任試験に向けて勉強中~

4中1小隊部屋、たぶん班長時代。小松川分駐よりは狭さを感じる造りなんだけど、実際は意外と広かった。何しろ1個小隊、15人前後だけの所帯だったからね。
厨房と畳の休憩室なんかは小松川分駐よりは古くさかったけどかなり広くて、特に厨房なんかは十分自炊可能だったし
実際、泊り勤務時、庁警員は味噌汁作りが科せられていて、料理大嫌いな私もここで人生初めての味噌汁作りを体験することとなる。←遠まわしに味がいまいちって言われたよ。

料理得意の分隊長がいて、たまにカレーライスを作ってはみんなにふるまってたしね。
私なんか奥様の実家(農家)の米蔵から内緒で年貢米を持ち出しては小隊に提供したこともあったよ。

この本田分駐の大きな特色としては小隊独自で地域住民との関係をとても大事にしていたところだった。
普段、深夜に車両の出入り等の騒音で迷惑をかけているということで、分駐所に隣接する周囲の民家の方々への盆暮れの挨拶等は中隊長、小隊長等の幹部連中が粗品を持って毎年欠かすことなく実施していたし、
縄張り、じゃなくて管内の中小企業の自動車修理工場や解体業者との親交も深く、伝統を継承しているゴンゾウ大班長様の音頭により、懇親会ということでそれら業者さんの社長さん連中との酒宴も幾度か催されたこともあった。
昔は、ある程度の物損事故だったら本部報告なんかしないで勝手に知り合いの業者に修理を依頼することが当たり前だった時代でもあったから、日頃から修理業者との良好関係を保つ意味での深い親交だったんだな。
何しろ、親方日の丸の警察車両ってことで修理が早いのなんのって、とにかく頼りなる方達だった。
もちろん、ちゃんとお金払ってたからね。そのため事故費と言って毎月、小隊員全員から積立金を徴収してたよ。
ちなみに本部報告しての事故処理は無料だけど・・・いろいろめんどくせー。

警らの合間、実際はそれ目的だけで私もよく班長に連れられて覆面パトカーで管内の業者さんの檀家回りをしたもんだった。

※檀家回り・・・だんかまわり・・・檀家とは、特定の寺に所属して寺を支援する家のこと。その家を専属のお坊さんが訪れることを檀家回りと言う。警察社会ではお巡りさんが民間の協力者の家にお邪魔してはお茶を飲みながら世間話をして情報収集をすることを言う。
このお巡りさんの檀家回りって、地域住民との密接な関係を保ち、貴重な情報を得る重要な時間なんだよ。けっしてさぼって遊んでる時間ではないからね。

たまに社長さんからビール券なんかもらってたりしてたゴンゾウ班長様もいたけどっちゅうか、最初からそれ目的の班長もいたっけ
←みかじめ料の集金みたいでしょ。
何だか、話がブラックになって来ちゃったけど、そう、昔は結構、ブラックなことしている巡りさんも多かったよ。

もちろん、ごくごく一部のお巡りさん達だけどね。

まあ、いつもの如く世間様の目が厳しくなっていく一方で、ゴンゾウメンバーの転勤や内部異動と共にこの業者達とのお付き合いも消滅していくこととなる・・・個人的には続いてたみたいだけど。
やがて本田分駐所からは交機隊は撤収し、機捜さんだけの城となる。
私が最初の交機卒業後の所轄時代中での撤収だったので、いつの間にかって感じだった。
ちなみに私が所轄中の間に隊本部も、警視庁蔵前警察署内から別の場所(江東区新木場)に変わっちゃってた。
そんでもって現在はと言うと・・・2017年某日・・・ごらんのとおり何にも無しの空き地。

グーグルアースでも同じ感じだったから未だに空き地だと思う。
本田分駐所跡地・・・東京都葛飾区立石6丁目19番12号
本田分駐よ永遠なれ・・・どころじゃない、無くなってたあ


私の思い出の場所が、今度は完全に消え去ってしまったよ。
本田分駐所とは関係ないけど・・・当時の画像でもどうぞ。開通前のレインボーブリッジでのVFと私です。
過去ブログ(2013年4月6日作成ホンダVFR750P)で取り上げたよね。一般車両立入禁止、開通前のレインボーブリッジ上だよ。
御覧のとおり車線がまだペイントされてないもんねえ。
レインボーブリッジが開通したのは1993年8月26日だから、その直前だな。
この日は新隊員とペア警ら途中でのレインボーブリッジ視察だった。
民間の警備員の方が快く封鎖中の柵を開けてくれて通してくれたよ。一般車両はまだ通れる訳がなくお巡りさんだからこその役得なんだな。
この頃は「レインボーブリッジ見学できるぞ~」って隊員間のおもろい情報として広まってたんだよ。
実際、この日も他の中隊員が何名か訪れていて橋の上でヤニ(煙草)スパスパやりながら談笑してたよ。
余談だけど・・・後年、私が交機出戻りで小松川分駐勤務だった頃、「踊る大捜査線・レインボーブリッジを封鎖せよ!」って映画が有って主人公の青島刑事が「レインボーブリッジ封鎖できません!」ってセリフが有名だったんだけど・・・
当時、7交機の隊員でオフの時に彼女とマイカーでドライブ中、レインボーブリッジ上で単独物件事故やらかしてレインボーブリッジを封鎖しちゃったことが有って、「レインボーブリッジ封鎖しちゃいましたあ!」ってみんなでよく冗談言って笑いころげたの思い出したぞ。
幸い事故自体たいしたことないし、事故でレインボーブリッジ封鎖なんて珍しい事でもないぐらい首都高って事故ばっかだから全く大事にならなかったよ。

開通後の11月某日、モンゴル首相来日時、私は警護課派遣でモンゴル首相車列一向の先導白バイを担当してこのレインボーブリッジを渡ることとなる。
当時、羽田空港が新しくリニューアルしたり、このレインボーブリッジが開通したりで、従来の羽田空港からの警護車列コースもそれに伴い変わったばかりだった。
ほ~んと、遠い昔、銀河系の彼方での出来事に感じるよ。
しじみ、じゃなくて、しみじみ・・・
ってことで、今回はこの辺で失礼します。それでは皆さんまたねティドレス~


おまけです。
1973年(昭和48年)2月1日発行月刊モーターサイクリスト2月号より
一言だけコメントすっと、ダックス買わない人はこっち。
以下、いつものワンパターンです。
飲酒運転撲滅キャンペーン
FBやってます。素敵な顔画像、実名の有る方に限り、ぶっちゃけ質疑回答します。
「洋吾」←検索で何とかたどりついて下さいね。
いつもいつもバカみてえに言ってるけど、フェイスブックなんだから頼むから顔写真もお願いします。
顔が分からないと訳分からんので


それと出会い系関係のお姉ちゃんの承認申請も厳に止めてケロ
そんな金持ってねえし、第一そんな元気ねえし
発売中です!
ユニクロさん承認トートバッグです。Tシャツ同様宜しくお願い申し上げます。

他にもありますよ~(=^・^=)♪
http://utme.uniqlo.com/jp/t/EUUQeDg
ラインクリエイターズスタンプ「ニャンコ白バイ隊」、そのクォリティの低さで悪評発売中です。読者皆様の御利用を宜しくお願い申し上げます。またすでに御購入された方々に心から御礼申し上げます。
真にありがとうございました。

http://line.me/S/sticker/1029758
http://line.me/S/sticker/1124761
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これは私がユニクロのアプリで制作したTシャツです。他に4点出品中です。
著作権等の関係やらで結構審査が厳しかったけど、全て審査済みで発売中です。
※まじ厳しい
「これは私自身が制作したマスコットキャラのニャンコ達に間違いないですから
」的な説明しないと、あっさりはねられる。←説明抜きの最初は軽くはねられました。
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http://utme.uniqlo.com/jp/t/EUUQeDg
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